9月14日の中央社会保険医療協議会総会で、城守国斗委員(日本医師会常任理事)が退任の挨拶を行った。10月からは日医常任理事の長島公之氏、江澤和彦氏に、副会長の茂松茂人氏が加わった3人体制に移行する。【本根優】
委員交代を考えた場合、日医の松本吉郎会長が選ぶことができる選択肢は3つ。①城守氏の続投、②角田徹副会長の起用、③茂松副会長の起用だった。残る猪口雄二副会長は過去に中医協委員を務めているからだ。
仮に①を選ぶ場合、城守氏の残る任期は約1年。そこで交代となれば、24年度の診療報酬・介護報酬・障害福祉サービス等報酬のトリプル改定の直前に、新人の委員を送り出すことになってしまう。②と③が考えられる中、松本会長が選んだのが③だった。
なぜか。都医関係者が推察する。「答弁能力からすれば、角田さんが適任だろうが、そうはならなかった。松本会長が大阪へ配慮せざるを得ない“事情”があるのではないか」。
中川俊男前会長を追い落とすクーデター劇で、「松本会長誕生」の流れをつくったのが東京・愛知・大阪の3医師会長。都医の尾﨑治夫会長は都医副会長だった角田氏を日医に送り出し、茂松氏は府医会長から日医福会長に転じた。愛知県医の柵木充明会長は日医の代議員会議長に座った。
物腰の柔らかさで知られる茂松氏だが、近畿の医師会幹部は「相当な野心家。次期日医会長の座を虎視眈々と狙っている。そのために、中医協委員の椅子が必要だったのだろう」と勘繰る。
振り返れば、ここ10年、原中勝征会長を退け、日医会長として4期8年君臨した横倉義武会長から続く3会長は、すべて中医協委員を経験している。続く中川氏、そして松本氏も中医協で存在感を発揮し、後に日医会長の座を射止めた。
もちろん松本氏が長期政権を築けば、年上で、すでに70歳を過ぎた茂松氏に出番はない。とはいえ、横倉氏が75歳まで会長を務めた例があるように、70代で会長ということ自体、可能性はゼロではない。