中央社会保険医療協議会の1号委員に就任していた幸野庄司氏(健康保険組合連合会理事)が、さる10月29日をもって任期満了で退任した。幸野氏は、紳士的な言動に終始する中医協委員にしては珍しく相手側(診療側委員)を「イラッ!」とさせ、感情的な発言を呼び起こしていた。【堤実篤】
プロレスでは、あらかじめ作られた勝敗や流れを破る行為を“ブック破り”と呼ぶが、幸野氏は、ときに事務局作成シナリオで議論が進められる中医協のブック破りをやったのだ。
たんに言葉の選択を誤ったのか、感情に翻弄された発言なのか、やむにやまれぬ諫言なのか、それとも医療関連団体への不信感から論点の炎上を狙った戦略的失言なのか――。
さる10月13日の中医協総会で、在宅医療体制強化に向けた継続診療加算の「24時間要件」緩和が議論された。この加算はさほど普及していないが、その要因として診療側委員の城守国斗氏(日本医師会常任理事)は、24時間の連絡・往診体制構築のための協力医療機関の確保が難しいことを挙げた。
この説明に対して、幸野氏は「うま味がないから(協力医療機関は)断っているのではないでしょうか」と発言した。仕掛けたな……案の定、城守氏は「うま味がないという言い方は失礼ですよ!撤回してください!」と気色ばんだ。
だが幸野氏は応じず、他の支払側委員が発言したのちに「分かりやすくするために、うま味がないと言いました」と撤回した。もう支払側委員が反発できるタイミングではない。あえて間を置いて、第二段の口撃を仕掛けたのだろうか。
前回改定の議論でも、幸野氏は仕掛けた。2019年11月27日の中医協総会で、医療機関と義肢装具事業者の連携が論点になった。
義肢装具については、愛知県の義肢装具事業者による1社で1億円超の巨額偽装請求が発覚していた。この実態を踏まえて、幸野氏は「医師が指示のみを行った場合の評価が明確でないことから、指示のみで採寸料、採型料を算定されている事例が野放し状態にされているという現状があります」と指摘した。
「野放し状態」というセリフに診療側委員が引っかからないはずがない。反応したのは猪口雄二氏(全日本病院協会会長)だった。
「義肢装具を医師の指示で作成する、ここを非常に軽んじられたことを言われたので、一言反論させていただきます」「我々も、きちんとしたものを作るために多くの時間をかけて学習をして、その上で発注をしているので、できあいのものを、はい、これをつけてと、そんな簡単なことでやっているものではありません。非常に侮辱された言葉です!」
(待ってました!)と言わんばかりに幸野氏は切り返した。
「愛知県で起きた事例というのは、医師が指示したものと全く別のものを作っている事例というのが多かったのですけれども、では、なぜこういうことが起こるのでしょうか。これは義肢装具士も認めているのです」
猪口氏は「一部の医療機関でそういうことがあったことについては、我々も非常に遺憾に思っています」と是認するしかなかった。
診療側委員を故意に怒らせたうえで、エビデンスを突き付けて粛然とさせ、マウントを取る。そう見えなくもないが、幸野氏の仕掛けは診療側委員を「イラッ!」とさせるにとどまり、審議の紛糾など“中医協の風物詩”には至らなかった。
さる10月27日、この日の総会終了時に幸野氏は退任の挨拶をした。「中医協委員に就任するまでは航空会社で30年働いてきて、身体も丈夫だったので、医療には縁がありませんでした」と切り出して、なかばゼロから医療制度を学んできたことを振り返った。実直で潔い挨拶だった。
コロナ下で中医協はYouTubeで配信されるので、各委員の表情が画面に映し出される。幸野氏の挨拶のひと言一言に、公益委員の秋山美紀氏(慶應義塾大学環境情報学部教授)が深く頷いていたシーンが何とも爽やかだった。