茨城県の大井川和彦知事は5月12日の記者会見で、東京五輪・パラリンピック組織委員会から「選手専用のコロナ病床確保を打診された」と打ち明けた上で、「選手を優先することは認められない」と拒否したことを報告した。いち早く五輪優先を拒否したのだ。この判断は茨城県医師会との合意がなければ下せない。【堤実篤】
茨城県医師会の鈴木邦彦会長(元日本医師会常任理事)は医療法人博仁会理事長だが、同法人の所在地・常陸大宮市は、国政選挙区では茨城県第4区に入る。この選挙区を地盤とするのは、自民党茨城県連会長の梶山弘志経産相である。梶山氏の師匠は菅義偉首相だが、この政治ラインを鈴木氏がどう見たのか。あるいは政治ラインから鈴木氏に選手専用病床の確保が働きかけられたのか否か──。
舞台裏は分からないが、大井川氏が政府の意向を蹴飛ばして筋を通した背景には、茨城県に流れる“決起の血脈”の一端も垣間見える。
茨城県の思想風土を形作った水戸学は、幕藩体制を糾弾し、桜田門外の変や天狗党の乱など激烈な行動を誘発した。昭和初期には茨城県の青年たちが血盟団事件を引き起こす。決起には「理屈っぽい、怒りっぽい、骨っぽい」の「水戸っぽ気質」も影響していよう。
決起の血脈は茨城県医師会にも流れ、県医師会は後期高齢者医療制度を巡って対立した自民党を集団離党して、民主党政権を呼んだ。政権交代を契機に日本医師会常任理事・中医協委員に就任した鈴木氏は、厚生労働省の審議会・検討会で、水戸っぽ気質さながらの攻撃性を発揮したのだった。